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December 20 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

ドラフト会議、2度にわたる「まさかの結末」 ~横浜DeNA6位・寺田光輝~

2017年10月26日、プロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)。その日、石川ミリオンスターズの寺田光輝(てらだ・こうき)は、2度目の「運命の日」を迎えていた。満を持して臨んだ1年前とは違い、この日の寺田には「不安」と「恐怖」しかなかった。それでも、1年間やるべきことをやってきた自分自身を信じる気持ちが奥底にはあった。

「横浜DeNA、寺田光輝、投手、石川ミリオンスターズ」

BCリーグの選手の中で最初に名前を呼ばれたのは、寺田だった。それは、最後まで努力することを怠らなかった一人の野球人にもたらされた最高の「まさかの結末」だった。

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

1年前に起こった「まさか」の悲劇

「『寺』と聞こえた途端に、僕はてっきり寺岡(寛治:てらおか・かんじ)のことだと思って、『おぉ!』という気持ちで隣の彼を見たんです。そしたら、続けて聞こえてきたのは予想外の僕の名前で……。本当に信じられませんでした。指名があるとしても育成だと思っていたので、まさか本指名で、しかも(BCリーグで)最初に名前を呼ばれるなんて思ってもみなかったんです。しばらくは信じることができなくて、数日後に(横浜DeNAの)進藤達哉(しんどう・たつや)GM補佐に挨拶に来ていただいて、ようやく『あ、本当なんだ』って」

「ドラフトでは、何が起きるかわからない」とはよく言われることだが、寺田にとって2度のドラフト会議は、まさにそのものだった――。

寺田は筑波大学時代、ケガに泣き、思うようなピッチングができずに4年間を終えた。はじめは野球人生に終止符を打とうと、就職することを決めていた。しかし、「ここで終わるのは、もったいないんじゃないか?」という恩師のひとりである同大野球部の奈良隆章(なら・たかあき)コーチの一言で、無意識に払しょくしようとしていた自分自身の気持ちに気付き、独立リーグでの挑戦を決めた。

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

独立リーグ 石川ミリオンスターズで、野球人生を再出発させた

1年目の2016年シーズン、寺田は開幕から石川の守護神として、好成績を挙げた。40試合に登板し、3勝1敗19セーブ、防御率1.11。まさに「大」の付く活躍だった。チームも前後期ともに地区1位という完全優勝を果たし、プレーオフに進出。あと一歩のところでリーグチャンピオンの座こそ逃したものの、寺田がチームの立役者となったことは周知の事実だった。

そうして、寺田は満を持してドラフト会議の日を迎えた。周囲も「指名されるのは間違いない」と大きな期待を寄せていた。ところが、会議が始まって数時間後、寺田の名前が呼ばれないまま、全球団指名終了のアナウンスが流れた。一瞬、寺田は耳を疑った。

「え? うそでしょ?え ?何かの間違いじゃ……。もう1回、ドラフトってあるんだっけ?」

頭の中は、まさにパニック状態だった。しばらくの間、寺田はその場を動くことができなかった――。

事実を受け止めきれないでいた寺田を救ってくれたのは、チームメイトたちだった。

「すぐに、みんなにいじられまくりました(笑)。『よっ! 指名漏れ!』って言ってきたり、『あれ? 何位で指名されたんだっけ?』って聞いてきたり(笑)。変に気を遣われるより、かえって気が楽になりました。みんなにいじってもらっているうちに、気持ちを切り替えることができたんです。『自分の実力が足りなかったんだな』と。逆に『もう1年、鍛えるチャンスを与えてもらったんだ』と思いました。それで、意外にも早く次に向かう気持ちになることができました」

だが、頭では理解したものの、やはり心のダメージは大きかったのだろう。体は素直な反応を示した。オフの間、寺田は体調を崩し、肺炎、急性胃腸炎を患い、何度も発熱が続いた。練習することさえもままならず、年が明けてトレーニングに出てきた寺田の体はすっかりやせ細っていた。それは、球団関係者が「ひと目見た時、誰かわからないくらいでしたよ」と語るほどで、2017年シーズンは心身ともにまさに「一から」のスタートとなった。

窮地を救ってくれた1本の電話

今シーズン、寺田がまず取り組んだのは、ストレートの球速アップだった。

身長175センチという小さな体の寺田がこれまで重視してきたのは、サイドスローという変則フォームから丁寧にコーナーを突くコントロールだった。それが、前シーズンは好成績につながった。しかし、その結果、ドラフトでの指名にはつながらなかった。

「何が自分に不足していたのか……」

そう考えた時、何度かNPB球団の関係者から言われた言葉が頭に浮かんだ。

「できたら、もう少し球速があるといいんだけどな」

当時の最速は144キロ。確かに、プロの世界で戦うには、心もとない数字だ。寺田はどうにかして、140キロ台後半にまでもっていきたいと考えた。そこで、ピッチングに必要な「腕を振る力」「足で地面を蹴る力」のパワーアップを目指し、フィジカルトレーニングに努めた。そうして寺田は、ある程度の手応えを持って、2年目のシーズンの開幕を迎えた。

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

自分に足りないと感じた球速を伸ばすべく、トレーニングに励んだ寺田だったが――

ところが、2試合目の登板となった4月16日の滋賀ユナイテッドBC戦、寺田にとっては「悪夢」とも思える出来事が起きた。5-3で石川が2点リードで迎えた9回表、前シーズンには一度も打たれたことがなかったホームランを浴びたのだ。

「打たれたのはスライダーだったのですが、結局はその前の真っすぐが走っていなかったから緩急をつけられず、簡単に打たれたのだと思います」

実は、1試合目の登板ではセーブはついたものの、寺田は物足りなさを感じていたという。その理由は、打者の反応が昨シーズンとはまるで違っていたからだった。好成績を挙げた昨シーズン、寺田のボールに対して、打者は差し込まれるようにしてファウルをすることが多く、嫌がっている雰囲気が感じられていた。それだけ寺田のボールが、打者の手元で伸びていたのだ。ところが、今シーズンはフルスイングしてくる打者が多く、それだけボールが見やすくなっていることは明らかだった。寺田は「前年のような球威もキレもない」ことを感じ取っていた。

「あれだけトレーニングをして、確かに球速は伸びているのに、なぜ……」

自らのピッチングフォームを動画で見直すなど、寺田はなんとか打開策を見いだそうとした。しかし、一向に球威は戻らなかった。

「もう野球をやめてしまおうか……」

そんな考えが頭をよぎったこともあった。

そんなある日のこと、寺田のもとに、1本の電話があった。相手は、元チームメイトからだった。

「オマエ、どうしたん? フォームがバラバラに崩れてるぞ。(踏み出しの)左足が突っ張って、そもそも体重移動ができていないから、リリースが早くてバッターが見やすいボールになってるんじゃないか?」

実は、それまで寺田自身が原因究明のために見ていたのは今シーズンのピッチングの動画だった。一方、指摘してくれた元チームメイトは好成績を挙げた昨シーズンの動画を見ていた。そのため、今シーズンと比較することで、すぐに違いを発見することができたのだ。

寺田はすぐに昨シーズンのいい時のピッチングフォームを確認し、原因を一つ一つ修正していった。すると、それまで気持ちよくスイングしていた打者が、さし込まれてファウルするのが精いっぱいという反応をし始めた。

こうしてフォームを取り戻した寺田は、ようやく球速アップを狙って行なったオフでのトレーニングの効果を感じられるようになった。

「昨シーズンは、少し甘いところにいけば完璧に捉えられてしまうので、とにかく丁寧に丁寧に、低めやコーナーを突くことを心掛けていたんです。でも、今シーズンは球速がアップしたおかげで、多少甘くなっても、たいていはファウルや空振りが取れました。NPBの三軍相手でも、自分の真っすぐが通用するのが分かって、すごく自信になりました」

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

仲間の一言で、本来のピッチングフォームを取り戻し、自信をよみがえらせた寺田

今シーズン一番のテーマとしてきたストレートは、速さ、質ともに確実にレベルアップしていた。

そうして迎えた10月26日のドラフト会議、「寺田光輝」の名が、全国に響き渡った――。

教訓を得た忘れられない「一球」

寺田には忘れることのできない、いや、忘れてはならない「一球」がある。昨年のプレーオフ、石川はリーグチャンピオンシリーズ進出をかけて、福井ミラクルエレファンツとの地区チャンピオンシリーズに臨んだ。前後期ともに優勝した石川は、1勝さえすれば、次に進むことができるという状況にあった。チームは、初戦で決めるつもりだった。

その第1戦、1-0と石川リードの8回表、2番手投手が同点とされ、2死からは寺田がリリーフした。寺田はその回をきっちりと抑え、9回表、再びマウンドに上がった。すると、先頭打者に一発を浴び、勝ち越しを許した。実はそれが、寺田にとってBCリーグで初めて打たれた本塁打だった。

「もう、マウンドで気絶してしまうくらいショックでした……」

そして、結局それが決勝点となり、石川は1-2で大事な初戦を落とした。

果たして、原因は何だったのか。

「そのバッターに対しては、何度もシーズンで戦ってきていたので、きちんと打ち取るための配球を考えていました。その思惑通り、ツーシームでツーストライクに追い込んで、ツーシームをバッターの頭に残した状態でストレートを投げたんです。空振りを狙って投げた高めのボールだったのですが、それをまさかスタンドまで持っていかれるとは……」

何より寺田の心を占めていたのは、あることへの責任感だった。実は、翌日には巨人のトライアウトを控えていた。もし、初戦で石川が勝てば、そこでシリーズは終了し、翌日には何人かの選手がトライアウトを受けに行くことになっていた。しかし、負けたことによって、翌日も試合をしなければならず、トライアウトには行くことができなかったのだ。

もちろん、トライアウトを受けたからといって、ドラフトで指名をされるわけではない。だが、BCリーグの選手にとって、NPBのトライアウトは一縷(いちる)の望み。可能性がゼロではない限り、チャンスを逃したくないというのが選手たちの気持ちだろう。そんなチームメイトのチャンスを、自らの失投で奪ってしまったことが、寺田には耐えられなかった。

「もうあんな思いはしたくありません。状況は違っても、さまざまな人たちの思いを背負って投げるのがピッチャーの仕事。しかも、あの時はシーズンで一度も打たれたことのなかったホームランを打たれたわけですから、本当に自分が情けなかった。ここぞという大事な時にこそ、結果を出さなければいけないということを痛感させられた試合でした」

試合後、チームメイト数人が寺田を食事に誘ってきた。ひどく落胆する寺田に、彼らは優しい言葉をかけ、そして冗談で笑わせてくれたという。

「あの時食べたハンバーグの味は、一生忘れません」

それは、自分自身の悔しさと情けなさと、そしてチームメイトの温かさが混ざった味だった――。

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

昨年のドラフト指名に漏れた時も、不調に陥った時も、“一球”に落胆した夜も、寺田には力になってくれる仲間がいた

「輝ける場所があることを証明したい」

来年26歳となる寺田は、「自分には猶予期間はない」と考えている。1年目から、一軍登板を目指すつもりだ。最大の武器は「変則フォーム」と「負けん気の強さ」。ふだんは温厚な性格だが、マウンドに上がれば容赦のない「勝負師」へと変貌を遂げる。そして、ピンチの場面ほど、寺田の目は鋭くなる。

「バッターとの勝負は、やるか、やられるかの世界。だから僕は、ルールの範囲内でどんな手を使ってでも、相手を倒しに行く。そう思って、バッターに向かっていきます」

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

「バッターとの勝負は、やるか、やられるかの世界」。寺田は白球一つで、その勝負に挑む

目指すプロ野球選手像は、「子どもたちが自分自身の可能性を感じられるようなプレーヤー」だ。

「僕は体も小さいし、実は野球も下手なんです。どうにか投げることだけは、このレベルにまできましたけど、それ以外はまるでダメ。打てない、守れない、走れない(笑)。高校生の時、サードを3日でクビになったほどです。でも、唯一、投げるのだけは得意で、好きだったんです。そんな僕がプロで活躍することで、『自分なりの武器を見つけて、それを伸ばしていけば、輝ける場所がある』ということを子どもたちに証明したいと思っています」

2018年、ついに寺田は自分自身が最高に「輝ける場所」に足を踏み入れる――。

2017年のドラフトで横浜DeNAに指名された、寺田光輝

「輝ける場所」に向かう寺田の目は希望と闘志に満ちていた――

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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