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February 02 2018 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

現役生活に未練なし。歩き始めた指導者への道 ~車いすバスケ・佐藤聡~

4年に一度の舞台には、そこに選ばれし者だけではなく、数多くの陰の功労者がおり、たくさんの「思い」が詰まっている。歴史的1ページは、そうして作られていく――。2016年9月、リオデジャネイロパラリンピック。車いすバスケットボール男子日本代表の戦いを取材しながら、地球の裏側にいる人物のことが頭から離れなかった。元車いすバスケットボールプレーヤー、佐藤聡(さとう・さとし)だ。そのリオからちょうど1年がたった2017年9月、佐藤がいる福島を訪れた。現役を引退し、指導者としての道を歩み始めた佐藤に「あの時」のこと、そして「今」を聞いた。

車いすバスケ・佐藤聡

今年、宮城MAXのヘッドコーチに就任した佐藤聡

現役引退の理由は「けじめ」

2015年10月、「三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉」。車いすバスケットボール男子日本代表は、3位決定戦で韓国を破り、リオデジャネイロパラリンピックの出場権を獲得した。笑顔と涙を見せながら、抱き合って喜び合う選手たち。そこに、佐藤の姿もあった。韓国戦で最後の得点を挙げ、大歓声を浴びたのは、彼だった。だが、その翌年、リオの地に佐藤の姿はなかった。あの歓喜の瞬間を迎えた12人のメンバーのうち、「本番」の舞台を踏むことができなかったのは、佐藤ただ一人だった。

佐藤は、日本の車いすバスケ界を牽引(けんいん)してきた一人だ。パラリンピックには、2008年北京、2012年ロンドンと2大会連続で出場し、ロンドン後も常に日本代表には彼の名前があった。しかし、2016年5月、日本車いすバスケットボール連盟が発表したリオデジャネイロパラリンピック男子日本代表のリストに「佐藤聡」の名はなかった。自身3度目の世界最高峰の舞台を踏むことがかなわないことを確認した佐藤は、その瞬間、現役引退を決めた。

それは、周囲にしてみれば、あまりにも突然だったのではなかったか。たとえ代表入りがかなわなくても、クラブチームでプレーを続ける選手は数多くいる。特に佐藤は、国内最強の宮城MAXのレギュラーに君臨していた。リオ代表の発表があった1週間前の日本選手権では、キレのある動きを見せ、チームの大会8連覇に大きく貢献していた。国内トッププレーヤーとしての余力は十分にあったはずだった。

しかし、佐藤は引退を決めた。その決意に、みじんの迷いもなかったという。

「ずっとリオを最後に、現役を退くことは決めていました。もちろん、プレーし続けることは可能だったと思います。でも、僕自身は中途半端にやることだけは避けたかった。これまで協力してきてくれた会社や家族のこともありましたしね。以前から、ずっとどこかできちんとけじめをつけようと考えていたんです」

「けじめ」という言葉が、「佐藤聡」というプレーヤーをそのまま表しているように思えた。

辛さに耐え続けてこられたのは「仲間」の存在

昨年で41歳となった佐藤。30代後半を迎えた頃からは、ずっと「引退」の2文字が頭にあったという。「どこでけじめをつけるのが一番いいのか、そのタイミングを探っていた」。実は以前に一度、引退を本気で考えたことがあった。2012年だ。その年、佐藤は自身2度目のパラリンピックに出場した。しかし、日本代表は9位という結果に終わった。この時、佐藤は引退へと傾きかけていたという。

そんな佐藤の思いを踏みとどまらせた最大の要因は、「仲間の存在」だった。

「もちろん、ロンドンでの結果が悔しいという思いもありましたし、まだまだ自分はやれるという自信もありました。でも、僕にとって一番大きかったのは『もっと仲間と一緒にやりたい』という思いだったんです」

車いすバスケットボール

仲間と共に数々の戦いを乗り越えてきた佐藤(前列左から2人目)

佐藤にとって特に大きな存在となっていたのは、同じ“アラフォー”のベテラン、藤井新悟(ふじい・しんご)と石川丈則(いしかわ・たけのり)だった。

「若い奴らに負けず、絶対に3人でリオに行こう」

そう約束し合った2人との固い絆が、佐藤のモチベーションとなっていた。

そして、3人はお互いに刺激し合い、鼓舞し合いながら、代表の座を守り続けた。

しかし、そんな3人の道が、最後の最後に、分かつこととなる「その日」が訪れたのは、2016年5月のことだった。佐藤の元に1通の手紙が送られてきた。それは、リオの代表選考結果を知らせる通知だった。封筒を開けた佐藤の目に入ってきたのは「落選」を意味する文面だった。

「選考結果を待つ間、気持ちはリオに向かっていて、本番に向けて着々と準備する日々を送っていました。でも、落選と分かった時、不思議と悔しさとかはなくて、どこかスッキリしている自分がいたんです」

それは、なぜだったのか。佐藤は、今だからこそ言える本音を明かしてくれた。

「2020年が決まって以降、アスリート契約で競技に専念できるようになったパラ選手はたくさんいます。車いすバスケで代表の活動をしている選手のほとんどがそうですよね。とても良い時代になったなと思います。でも、僕は普通に社員として働いていて、代表活動との両立は、本当に大変でした。体力的にもそうですが、会社にも迷惑をかけていることもあって、正直に言えば辛かった……」

佐藤は会社と住まいのある福島市から、宮城MAXの練習拠点である仙台市まで車で通っていた。夕方に仕事を終えて、そのまま仙台へ。そして練習を終え、真夜中に自宅に到着。翌日は朝から会社に出勤する。そんな日々を、佐藤は5年以上も続けてきた。それに代表の合宿や海外遠征が加わることを考えれば、佐藤の心身は疲弊しきっていたことは想像に難くない。それでも佐藤が続けてこられたのは、車いすバスケへの情熱と、仲間の存在だった。だが、当時40歳を迎えようとしていた佐藤は、体力的にも将来のことを考えても、「潮時」を感じていたに違いない。だが、中途半端で終わらせるわけにはいかなかった。だからこそ、踏ん張ってきたのだ。

そんな中での「落選」という結果は、納得のうえでの「解放」だったのかもしれない。「スッキリした」のは、思い残すことがないほどやってきたからにほかならない。

「やれるだけのことはやった。それでダメなら仕方ない」

こんなふうにして自分自身に納得して引退を決意できるアスリートは、ある意味、幸せなのかもしれない――そんなふうに思えるほど、佐藤の表情と言葉には、未練はみじんも感じられなかった。

競技人生に不可欠な存在だった「及川晋平」

佐藤が車いすバスケと出合ったのは、16歳の時。バイクで事故に遭い、車いす生活となった佐藤は入院中に知り合った人の勧誘で、車いすバスケを始めた。退院後もバスケは続けてはいたものの、あくまでも「趣味の一つ」でしかなかった。そんな佐藤が、競技として本格的に取り組み始めたのは25歳の時。きっかけは、ある一人のプレーヤーとの出会いだった。現在、男子日本代表チームの指揮官を務める及川晋平(おいかわ・しんぺい)HCだ。

「福島県の中で『本気で強くなりたい』という選手たちが、千葉から来た及川晋平と一緒に作ったのが『TEAM EARTH』。僕もその中の一人でした。それまでは県内でやっていても、強くなれるとは思えなかったのですが、ちょうど当時日本代表として活動していた及川がチームに来てくれたことによって、『よし、オレも』と思ったんです。質の高い及川のバスケに触れたことで触発されて、それまで遠くの世界だった『日本代表』が、とてもリアルなものに感じられるようになりました」

その後、佐藤は、完全に車いすバスケのとりことなっていった。

車いすバスケ・佐藤聡

現役時代、確かな技術とキレのある動きで国内トッププレーヤーとして活躍した佐藤

そんなふうに、佐藤の車いすバスケ人生は、及川HCの存在によって第一歩を踏み出した。そしてそれから約15年後の2016年、佐藤に現役引退を決意させた「代表落選」を決めたのが、及川HCであったことは「運命のいたずら」としかいいようがない。

当時、及川HCに選手選考について聞くと、こう胸の内を語ってくれた。

「選手たちには、みんな可能性がある。そのことを伝えてきた自分が代表から落とさなければいけない。ほんと、自分で矛盾していることをやっているなと思いますよ。でも、それが代表という世界。割り切るしかないよね」

一方、佐藤にとっては及川HCだったからこそ、納得できたのかもしれない。それは、佐藤のこんな言葉から垣間見られる。

「及川晋平という男に出会わなければ、僕は車いすバスケを本気でやろうとは思わなかったでしょうね。僕は彼に車いすバスケのイロハのすべてを教えてもらいました。最初は何もできなかった僕に、彼は一つ一つ、細かく丁寧に教えてくれた。人としては突っ込みどころがたくさんあるんですけど(笑)、いざバスケとなると、彼ほど豊富な知識を持っている人は日本にはいないでしょうし、世界的に見てもバスケへの情熱と知識はすごいものがあると思います」

その佐藤は今、指導者としての道を歩み始めている。

現役引退とともに、宮城MAXというチームからも完全に身を引こうと考えていた佐藤だが、2度のパラリンピックを経験している貴重な存在を、チームがみすみす手放すわけはなかった。チームからの要望に応えるかたちで、2016年5月、佐藤は現役引退とともにアシスタントコーチとなった。

そして、今年1月、長年チームを率いてきた岩佐義明(いわさ・よしあき)HCが女子日本代表チームの指揮官を務めることに伴い、佐藤は宮城MAXのHCに就任した。

佐藤は自らの役割をこう語っている。

「若い選手を育てることはもちろんですが、ベテラン選手においても自分の存在というのは、いる価値があるのかなと思っているんです。というのも、日本代表としてパラリンピックに出場したベテラン選手だって、やっぱり人間ですから弱気になったり、楽しようとすることもあると思うんです。でも、彼らに指摘したり、まだまだだとお尻をたたくようなことって、誰でもできるものじゃない。だから、自分もそうでしたけど、ベテラン選手って、言われることに飢えている部分って少なからずあると思うんです。MAXでそれができるのって、僕くらいなのかなって」

これまでとは立場は違うが、やはり佐藤が車いすバスケの世界に身を置く一番の理由は「仲間の存在」なのだろう。

佐藤が理想とする指導とは「基礎の積み重ね」。それは及川HCから教えてもらったことでもある。

「1対1だったり、ゲームにしても、結局すべてはパス、ドリブル、ピックなどの基礎がなってなければ、バスケとして成立しないんです。僕自身、基礎しかやってこなかったですからね。適当にプレーするバスケは、自分は好きではないんです。『こうして、こうなるから、こういうプレーをする』というきちんと考えるバスケを教えたい。そうでなければ、うまくならないし、そのためには基礎が何より重要です」

今年5月の日本選手権で、MAXは「10連覇」という偉業達成に挑むことになる。初めて指揮官として臨む佐藤が、どんな采配をふるうのか。コート上ではなく、今度はベンチでの佐藤のパフォーマンスに注目していきたい。

(文・斎藤寿子、写真・越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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