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July 13 2015 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

高まる「車いすソフトボール」熱。2020年東京パラを目指して。

高まる「車いすソフトボール」熱。2020年東京パラを目指して。

 

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北海道千歳市で開催された、第3回全日本車いすソフトボール選手権

7月4日から5日にかけて、北海道千歳市で第3回全日本車いすソフトボール選手権大会が開催された。北海道、宮城、東京、神奈川、福岡と全国から8チームが集結し、熱戦が繰り広げられた。日本における車いすソフトボールの歴史はまだ浅い。きっかけとなったのは2008年、北海道の一人の先生と生徒にあった――。少しずつ全国へと広がりを見せている車いすソフトボールの現況に迫る。

 

会場は駐車場

4日、橋本聖子参議院議員の始球式で幕を開けたのは、第3回全日本車いすソフトボール選手権大会だ。会場は新千歳空港からほど近いショッピングモールの駐車場。「駐車場?」と不思議に思う人もいるだろう。車いすソフトボールは、土や芝のグラウンドでは車いすが走らないため、地面はコンクリートなどで固められた平面状でなければならない。その上、一般のソフトボールよりはやや狭いが、ある程度の面積(本塁から外野フェンスまでの距離は両翼45.72メートル、中堅54.86~67.06メートル)も必要とされるため、国内では公園やスポーツ施設の駐車場を借りて、競技運営されることが多い。そこで今回は、千歳市のアウトレットモール「レラ」の駐車場の一部をフェンスで覆い、テープで白線を引いて特設球場を設けた。

2013年から始まった同大会は、回を重ねるごとに2、6、8と参加チーム数が増え、第1回はまばらだった来場者数も今年は約300人。車いすソフトボールの認知、普及が徐々に広がってきていることがわかる。

 

「10人目のプレーヤー」カギ

魅力のひとつは、10人制という車いすソフトボール特有のルールにある。1チーム9人制の一般のソフトボールより守備人数が1人多く、「10人目のプレーヤー」は、投手と捕手以外であればどのポジションで守ってもいい。そのため、「10人目」をどこに置くかが、チームにとっては重要な守備戦略のひとつで、試合の見どころとなっている。

 

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10人目のプレーヤーのポジションがカギを握る守備

この日の大会で初優勝したTOKYO LEGEND FELLOWSの勝因も、「10人目のプレーヤー」にあった。ほとんどのチームは内外野の間に「10人目」を置いている一方で、FELLOWSは外野に「10人目」を加えた。つまり、通常、レフト、センター、ライトの3人で守るところを、レフト、レフトセンター、ライトセンター、ライトの4人にしたのだ。

これが功を奏した。二遊間、三遊間を抜けて外野に転がっていく、普通ならヒット性の当たりをレフトセンター、ライトセンターの2人が猛然とダッシュし、アウトにすることによって、相手チームにつけいる隙を与えなかったのだ。その結果、初戦、準決勝の2試合を完封で勝ち、決勝に進出。決勝では4失点こそしたものの大崩れしなかったのは、やはり守備力によるものだった。

 

始まりは、2人っきりのキャッチボール

 

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車いすソフトボールの第一人者、飛島大輔

日本での車いすソフトボールの歴史は2008年、高校野球の伝統校、北海高校(北海道札幌市)の野球部だった飛島大輔(とびしま・だいすけ)と、当時の監督、大西昌美(おおにし・まさみ/現北翔大学野球部監督)の2人っきりのキャッチボールから始まった。きっかけは、高校卒業後、交通事故で車いす生活となっていた飛島に、大西が「また野球をやろう」と声をかけたことだった。ここから2人は、「車いすでもできる野球」づくりに奔走することになる。

それから3年、2人は大西が受け持つ北翔大学のゼミ生とともに、試行錯誤の日々を送っていた。そんな中、米国では「車いすソフトボール」が盛んで、およそ40年も前から、毎年、全米選手権が開催されていることを知る。野球とソフトボールの違いはあったものの、さっそく視察に訪れようとした大西の元に、全米車いすソフトボール協会から日本代表チームとして特別参加してはどうかと打診が舞い込む。目で見るだけではなく、実際にプレーすることができるのは、車いすソフトボールを知るには願ってもないチャンスだと考えた大西は、急きょ飛島を中心とする日本代表チームを結成し、2012年の全米選手権に出場した。

「競技としてのベースが既に出来上がっている車いすソフトボールなら、日本でもすぐに始めることができる」と感じた大西と飛島は、「車いす野球」から「車いすソフトボール」へと方向を変える。多くの人の賛同と協力を得て、翌2013年4月、日本車いすソフトボール協会を設立。同年7月には第1回全日本車いすソフトボール選手権大会を開催し、今日に至る。

飛島は、2013年に発足した国内第1号チームのNORTH LAND WARRIORSの中心選手として、第1回から日本選手権に出場。第1、2回ではチームを連覇に導いた。今大会は4位という結果ではあったが、攻守にわたり、主力としてチームを支えた。

 

2020年を目指して

現在、車いすソフトボールは、日米を中心に、パラリンピック競技にすることを目指している。世界に普及・拡大させようと、昨年から全米選手権を「ワールドシリーズ」という名称に変更したこともそのひとつだ。さらに、プロから支援されていることも、動きを加速させている。米国では、メジャーリーグの傘下に入っている車いすソフトボールチームも多く、昨年にはミネソタ・ツインズが米ペプシコ社らとの共同出資で数億円をかけて車いすソフトボール専用スタジアムを建設した。一方、日本では、第1回大会から埼玉西武ライオンズが全日本選手権のスペシャルサポーターとなっており、昨年の第2回大会からは北海道日本ハムファイターズも加わっている。

「日本は野球とソフトボールが文化として根付いている。その日本で開催される2020年東京パラリンピックは、車いすソフトボールの認知を拡大させる大きなチャンス。デモンストレーション競技としてでも開催することができれば、パラリンピック競技としての大きな一歩となるはず」と飛島は語る。

普及・支援の輪が着実に広がっている車いすソフトボール。2020年東京パラリンピックはその動きを加速させる転機となるに違いない。

(文・斎藤寿子)
(写真・Photograph.RN 藤崎)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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