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November 21 2015 By 向 風見也

「遅咲き」でジャパン入りの伊藤鐘史を支えた、「思いの芯」とは。

2015年秋のワールドカップイングランド大会には、日本代表のエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチは「一番強いメンバー」で臨むと語った。

過去に各国代表スタッフとして臨んだ大会の戦績を13勝1敗としてきた指揮官は、ポジションごとの人数のバランスを取るより、激戦に耐えうる能力や気質を持った人を厳選した。選ぼうとした。そうしてチョイスしたのが、「選手の主体性」を掲げるリーチ マイケル主将であり、「時の人」となる五郎丸歩副将であり、自らとの衝突もあった田中史朗だった。

「日本ラグビーの歴史を変える」

使命を担った31人は、ジャパン史上初の予選プール3勝を挙げた。準々決勝へ進めなかった悔しさと、国内にラグビーブームを巻き起こした嬉しさをにじませた。

「皆、ありがとう!」

帰国会見時、仲間にこう謝辞を述べたのは伊藤鐘史である。31歳でテストマッチ(国際間の真剣勝負)デビューを果たし、34歳で初の大舞台を踏んだ自他ともに認める「遅咲き」だ。兵庫県出身で、2009年度から地元の神戸製鋼でプレーしている。

伊藤を初めて日本代表選手にした指導者であるジョーンズヘッドコーチは、「テストマッチでプレーするのに年齢は関係ない。テストマッチでプレーできるかどうかが重要だ」と、伊藤を最後まで「一番強いメンバー」の1人にしてきた。

伊藤が務めるロックというポジションは、「縁の下の力持ち」と称される。密集戦で身体をぶつけ合ったり、タッチライン際から投げられる球を空中で競り合うラインアウトで中核を担ったり。同じロックで、ジャパン最多のテストマッチ出場数(96)を誇る大野均は、自らの売りを「泥臭いプレー」と話している。

そんななか、伊藤は自身の特徴をこう分析する。

「身長のわりに、低いプレーを続けられること」

「激しいポジションなのに、冷静さを保てること」

身長191センチ、体重102キロと国内では大柄とされる体格だが、地を這うタックルや接点への絡みつきで相手に効果的なボディーブローを放つ。理不尽な練習に一定の理を見出す京都産業大学の主将だったころから、「転がって、起き上がってという練習をやってきた。そういうのは、自然とできていた」。体重が90キロ台だった20代の頃は、ロックよりひとつ後ろのフランカーやナンバーエイトとしても「低いプレー」を続けていた。

「冷静さ」は、ラインアウトで発揮した。事前分析の内容とその場の相手の並び、さらには自チームがボールを確保した後の攻撃方向を踏まえ、最も効果的な場所で捕球できるようサインを出す。「チームのラインアウトのことは、ほとんどショージさんが考えている」。神戸製鋼のフランカーである安井龍太は、こう話したことがある。

メンバーの当落線上で、「常にふるいにかけられてきた」と伊藤は言う。若き有望なロックが次々と代表候補となるなか、「周りを見る余裕は、正直、ない。ただ、1つひとつの練習や試合で、常に何かを学ぼうとはしてきた」。生き残らんと必死になるなか、何とか爪痕を残してきた。

当時の欧州王者のウェールズ代表を破った13年6月15日は、東京・秩父宮ラグビー場で背番号「5」をつけていた。元イングランド代表主将のスティーブ・ボースヴィックフォワードコーチとの二人三脚で、ジャパンの「ラインアウトリーダー」の地位を確立したのだった。

選手生活の華を掴むまでは、幾多の回り道を強いられてきた。

例えば大学卒業後に入社したリコーでは、日本最高峰であるトップリーグからの降格を味わった。「日本一の練習をしよう」。グラウンド上の円陣で毎日こう言ってきたが、現実は苦かった。代表入りへのアピールのために移籍を決断したのは、下部リーグからの復帰を決めた2008年度のシーズン終了後だ。

現所属先へ移る際、伊藤は移籍承諾書をもらえなかった。11年のワールドカップニュージーランド大会出場に向け、何としてもプレーしたかった2009年度のシーズンは、古傷のリハビリに充てるほかなかった。それ以前も、それ以降も、度重なる負傷と膝の不調に苦しんでいた。

しかし…。

「絶対、ジャパンになれよ」

別れ際、伊藤にそう告げていたのは、リコーの田沼広之だった。いまは日本体育大学の監督を務める愛称「タヌー」は、1999年、2003年のワールドカップで日本代表に選ばれたクラブの鏡だ。2011年以降の伊藤が本格的に取り組むロックのポジションにあって、長らく国の一線級だったこの人は、移籍する後輩を心の底から応援していたのだ。

「代表では、思いの芯が強い奴が残るんです」

伊藤自身は、後にこう振り返る。

「ルールのことは、仕方ない。ただ、出られない間に色々と考えることはあった。周りに支えられていたこともわかった。やれるうちは、精一杯、やりたい」

いわゆる「遅咲き」のキャリア形成や「ふるい」にかけられながらの代表定着の前に、こうした時間を過ごしてきたのだ。

やや調子を崩したイングランド大会では、10-45で敗れたスコットランド代表戦のみの出場となった。

「緊張はすると思うが、すべてを受け入れてやりたい」

9月23日、グロスターはキングスホルムスタジアム。リードされていた後半25分からの途中出場だった。終わってみれば…。

「緊張する間もなかったですね」

4年後の秋は、38歳になっている。日本でおこなわれる次回大会への挑戦には、リアリティーを持てないでいる。ただ、11月から始まったトップリーグでは、代表選手としての責任を果たしたいという。

「いい試合をしないと、この熱は続かない」

だから次の試合でも、低く、冷静に戦う。

ラグビーW杯1次リーグ 悔しがる伊藤  スコットランドに完敗し悔しがる伊藤=グロスター(共同)

ラグビーW杯1次リーグ 悔しがる伊藤  スコットランドに完敗し悔しがる伊藤=グロスター(共同)

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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