2015年9、10月のラグビーワールドカップイングランド大会で日本代表だった真壁伸弥は、帰国後、所属先であるサントリーの一員として国内最高峰のトップリーグを戦っている。
チームの主将とあってゲームの後は記者会見に臨むのだが、そこでの質疑応答が、まぁ、味わい深い。単語の選択というより、発言の際のリズムや間が、いい意味での不可思議さを帯びているのだ。自ら日々の出来事などを綴る「まかさんぽ」というブログの軽妙な文体が、そのまま話し言葉になった感じか。
11月21日、京都は西京極陸上競技場。リーグ戦グループAの第2節で、クボタを55―14で下す。今季初勝利。質問を受ける。
13日に東京の秩父宮ラグビー場でおこなわれたパナソニックとの開幕戦を5―38で落としてから、一体、どんな修正したのか。
「チームのベースをしっかりやろうということと、個人的には先週のことはもう忘れたかったので、思い出したくありません」
試合直後に細かいプレーの状況を聞かれた時も「すみません。覚えてないんです」と謝る傾向が強い。
ウィスキーエキスパートの資格を持つ28歳。身体をぶつけ合うフォワードのポジションにあって、もっとも泥臭い衝突を強いられるロックという役目を担っている。グラウンドに出る際は、あえて持ち前の理性をベンチに置いているのかもしれない。

写真:長尾亜紀
「イングランドではインパクトプレーヤーとして使う」
日本代表の指揮を執っていたエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチからは、体制発足時からこう告げられていたようだ。4年に1度の大舞台での起用方法を、実際にメンバー入りする前から言い渡されていたこととなる。
実際、2013年6月15日にウェールズ代表を23―8で下した時も、翌年の6月21日にイタリア代表を26-23で倒した時も、真壁は背番号「19」をつけていた。
欧州6強の一角を梅雨の蒸し暑い秩父宮へ呼び寄せたこの2戦は、ジャパン陣営にとってのメインターゲットの試合だった。そこで背番号「19」は、「インパクトプレーヤー」を担った。両者の足が止まる後半の途中から、ランとスクラムで馬力と重量感を活かした。
2014年の公式記録を「192センチ、118キロ」とした巨躯は、ずっとずっと、明確な目標を見据えられた。2015年9月19日、ブライトンはコミュニティースタジアム。過去2回優勝の南アフリカ代表とのワールドカップ初戦で、背番号「19」は後半13分に登場した。
「いままでやってきた後半からのプレーとあまり変わらない。いつも通りにできました。接戦だったので、派手なプレーはしない、と。淡々とやってました」
クラッシュ、またクラッシュ。その向こう側で、34-32での歴史的勝利を掴んだ。
それまでと、その後には、辛苦を味わった。
ワールドカップイヤーの2月27日、日本選手権決勝で右太もも裏の筋肉を切った。「あ。終わったな。そう思いましたね」。4月から宮崎で始まったジャパンの長期合宿では、仲間と距離を置いてリハビリメニューをこなした。手術をせず、周りの筋肉を増強しての復帰を目指した。
本格的なトレーニングができない時期を、あえて「身体を大きくするチャンス」と捉えた。本番までに体重を125キロにパンプアップさせ、それを南アフリカ代表との互角のぶつかり合いに繋げてゆく。それでも、春から夏までの過酷な日々を忘れることはない。
「楽をしていたわけではない。時間的にも、精神的にも、体力的にも追い込まれた。1日をずっとコントロールされたのは、きつかったですね」
金星を得た後で悔やまれるのは、突然、腰を痛めたことだ。9月23日にグロスター・キングスホルムスタジアムでのスコットランド代表を10-45で落として「すぐ」に、戦列を離れることとなった。10月3日、ミルトンキーンズはスタジアムmkでのサモア代表戦はスタンドで見届けた。
「ギリギリ直前に怪我をしたのは申し訳ないし、サモア代表戦前に怪我をしたのも本当に申し訳ないです。構想を狂わせてしまったので。エディーさんは1つの構想だけではものを行わないから問題ないとも思うんですけど…。これほど使えない選手はいないですよね」
国内史上初の3勝というチームの結果には安堵したが、個人的には、贖罪の気持ちもなくはない。
宮崎での合宿中は、サントリーの正社員としての仕事もこなしていた。ノートパソコンを利して、関東全域の大手チェーンのスーパーマーケットとやりとり。ワールドカップの期間のみは「一切。すみません!」。サントリーに戻ってからは、この調子である。
「最近、ラグビーはまったくですが、完璧な営業ができています」
あれから、メスを入れないままトップリーグを戦っている。練習や試合の後のケアは「代表でやってきたことを継続」して、復帰直後にみられた運動後の激しい痛みを軽減させつつある。ここでは背番号「5」をつけ、味方のパスの軌道へ真っ直ぐ、真っ直ぐ駆け込んでいる。
持ち前の理性をベンチへ置き、無心でぶつかる。
「(メスは)一生、入れないです。強化だけでいきます。手術をしたら、おそらく1年は棒に振ることになる。1年も棒に振ったら、もう帰って来られないような年なので。このままで私生活に支障はないですしね。問題があるとしたら、老後です。はははは」
悲劇かもしれぬ話を喜劇のタッチで伝える。これを人はユーモアと呼ぶ。海外列強の大男とぶつかる刹那、この人は「老後」のことなど考えまい。