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December 14 2015 By 近藤 隆夫

「ブラジリアン柔術」の魅力 ~〝知られざる世界の格闘技” イントロダクション~

1993年11月、米国デンバーでの衝撃

「グレイシー柔術って一体何だ? なぜあんなに強いのか?」

日本の格闘技界が騒然となったのは、いまから22年前、1993年11月のことである。この時、世界の格闘技界に革命が起こった。そう『第1回ジ・アルティメット・ファイティングチャンピオンシップ(以下UFC)』が米国デンバーで開かれたのだ。

「最強の格闘技を決めようじゃないか! 我こそが最強だと名乗りたい者は、オクタゴン(金網に囲まれた八角形のリング)に入ってくれ」

そんな挑発的な呼びかけに集まった男たちの中から競技別に8人の男が選ばれる。この中には、ケン・シャムロック(パンクラス)、ケビン・ローズイヤー(キックボクシング)、ジェラルド・ゴルドー(極真カラテ)といった日本でもよく知られる選手も含まれていた。

闘いは、時間制限無しのノールールで行われた。顔面への打撃がOKなのはもちろんのこと、急所攻撃すら禁止しない。公平を期するために一切の反則事を排するというものだった。よって、負傷者も続出する苛烈なトーナメント戦となったが、決勝戦でゴルドーを倒し優勝したのは、道衣を身に纏った出場選手中最軽量の男で、その名はホイス・グレイシー。彼がグレイシー柔術の使い手だったのだ。

ホイス・グレイシー

1993年から94年にかけてオクタゴンの中で「グレイシー柔術最強」を証明したホイス・グレイシー Photo by TAKAO MASAKI

コンデ・コマ”前田光世がグレイシー一族に柔道を伝授

1997年3月にハワイで開かれた『パン・アメリカン大会』の試合風景。

1997年3月にハワイで開かれた『パン・アメリカン大会』の試合風景。この頃からブラジリアン柔術の大会が世界各地で行われるようになっていく

グレイシー柔術とブラジリアン柔術は同意語である。

「柔術」という言葉から推測できる通り、日本の格闘技を伝承する形で築かれたものだった。

日露戦争の最中にあった1904年11月、講道館柔道の猛者、“コンデ・コマ”こと前田光世が『海外武者修行』の旅に出る。米国を皮切りに、イギリス、フランス、ベルギー、キューバ、メキシコなどを渡り歩き、この間にいくつかの他流試合を行っている。そして辿りついたのがブラジルのベレンだった。ここで前田は学者であり、また政治家でもあったガスタオン・グレイシーと出会い親交を深めることになる。そんな時、前田は、ガスタオンから、こう頼まれた。

「うちの息子に、あなたの得意な格闘技を教えてやってくれないか。根性を鍛えなおしてやってほしい」

前田は当時、ガスタオンの息子、当時、まだ十代だったカーロス・グレイシーに柔術を教える。それは、立ち技ばかりではなく寝業が中心だったようだ。おそらくは、海外で他流試合を続ける中で、実戦においては絞め技、関節技がいかに大切かを前田が実感していたからであろう。

柔道を前田から習ったのはカーロスである。でも、その様子をずっと見続けた男がいた。カーロスの弟であるエリオだ。以降、カーロスとエリオは、前田から教えられた柔道を近所の仲間たちにも教え、また、その技術を改良していく。そして彼らは柔道をベースにした新たな格闘技をつくり上げていったのだ。それがブラジリアン柔術(グレイシー柔術)。

第1回UFCで優勝したホイスは、エリオの息子であり、ヒクソン・グレイシーの弟だった。

打撃最強幻想を柔術の実戦的な技が崩した

渡辺孝真氏

ヒクソン・グレイシー公認の『AXIS柔術アカデミー』代表、渡辺孝真氏

ブラジリアン柔術は、前田から教えられた柔道テクニックをヒントに、グレイシー一族がつくり上げたもの。それが長き時間を経て、93年に日本人を驚かせたのである。

その後、ブラジリアン柔術を学ぶ日本人が増え、いくつかの道場がつくられていくが、その先駆が、ヒクソン・グレイシー公認の『AXIS柔術アカデミー』だ。渡辺孝真が1995年に東京・明大前に開設している。渡辺は、我々がブラジリアン柔術の存在を知る以前から、この格闘技を学んでいた。日本で生まれてまもなく、リオデジャネイロに移住。そこで十代半ばから柔術道場に通うようになったという。その切っ掛けを渡辺は次のように話す。

「最初は強くなりたくてカラテをやっていました。そんなある時、友達と一緒に遊びに行ったディスコで衝撃を受けたんです。私と同じぐらいでカラダもそれほど大きくはない子が、警備員と揉めていたんです。その警備員は背も高く体重も100キロ以上はあって見るからに強そうでした。でも喧嘩になって勝ったのは子供の方で、警備員は首を絞められて失神してしまったんです。

その時に友達が私に言ったんですよ。『アイツは強いんだよ、グレイシー柔術をやっているから』って。初めてグレイシー柔術を知りました。それからですね、始めたのは」

3年後の『アジア大会』から正式種目となることが決定

ブラジリアン柔術

現在、総合格闘技を闘う上で、ブラジリアン柔術の技術習得は欠かせぬものになっている。しかし、ブラジリアン柔術は、そのためだけに存在するわけではなく独自の競技として確立されており普及もしている。

ルールにおいて柔道と異なる点は大まかに言えば2つ。まず、投げ技による「一本」は認められない。2つ目は、寝業に制限時間がない。そのため、時間切れ判定となるのを除けば、ほとんどの場合、絞め技、関節技で勝負が決される。

ブラジリアン柔術の第1回全日本大会が開かれたのは98年8月のこと。2000年前後には、数十カ国で国内大会、地域大会が開かれるようになっていった。そして18年にインドネシア・ジャカルタで開催される『第18回アジア競技大会』では、「柔術」の名称で正式種目となることが決定している。

そんなブラジリアン柔術だが、僅か四半世紀前まではブラジル国外には伝わっていなかった。世の中には、「知られざる格闘技」がまだまだ数多くある。次回から、その未知なる世界に迫っていきたい。

『ブラジリアン柔術』を学ぶには・・・

ブラジリアン柔術

現在では日本国内に数多くのブラジリアン柔術道場がある。全国に存在するので、学びやすい格闘技となった。その中で最も長い歴史を誇る道場は『AXIS柔術アカデミー(「グレイシー・ジャパン」から改称)』。ヒクソン・グレイシーから黒帯を授かった唯一の日本人、渡辺孝真が代表を務めている。

道場に通うメンバーは、日本人だけではなく米国人、ブラジル人も多く国際色豊か。大会で活躍するトップファイターから、護身術を身に付けることを目的とした女性、そしてキッズまで幅広い層が集まっている。また、ヒクソンや彼の息子クロン・グレイシーも来日時には、ここを訪れ練習に参加することもある。

●AXIS柔術アカデミー
東京都世田谷区松原1-34-16-1F TEL/03-3325-6699
ウェブサイト:www.axisjj.com

近藤 隆夫

近藤 隆夫

1967年1月、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中からスポーツ誌の記者となる。タイ、インドほか、アジア諸国を放浪した後に『ゴング格闘技』誌をはじめ、スポーツ誌の編集長を歴任。現在はスポーツジャーナリスト。著書に『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)『ジャッキー・ロビンソン』(汐文社)ほか多数。

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