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December 16 2015 By 向 風見也

日本代表歴代最多キャップ数の大野均はいま、「高校生の頃を知っている選手」とポジションを争う

赤い背番号19のジャージィをまとった身長190センチ、体重105キロの長髪の38歳は、芝に足を踏み入れるや、拍手喝采を浴びた。「うれしいですね」。2015年12月12日、東京は秩父宮ラグビー場。優勝争いをするチーム同士の合戦を公式発表で「20138人」のファンが見つめるなか、東芝の大野均は喜びをかみしめていた。

後半33分に登場し、緊迫の場面を迎えた。昨季王者のパナソニックを10―17と7点差を追う東芝は、敵陣ゴール前右のスクラムから球を回す。「スクラムで何かしらの得点は取らなきゃいけない、と。気合は入っていました」。人と人との衝突を重ねる。「意地でも取り切ってやろう、と」。最後はチームメイトの山本紘史がインゴールへ飛び込み、フランソワ・ステインがコンバージョンゴールを成功させた。

17―17でのノーサイドの後、大野はしみじみと振り返った。

「ミスはできないという緊張感もありながら、あの雰囲気を楽しんでいたという部分もあります」

 

福島県郡山市の農家で育った。牛の出産やわら運び、牛乳配達を手伝い、新聞配達のアルバイトもした。情報清陵高校では野球部の代打要員だったが、一般推薦で入った日本大学工学部で楕円球と出会う。

部員数20人前後のクラブで、恵まれた体格と運動能力を生かした。研究や実験の合間に土のグラウンドでボールを追いかけ、試合では「先輩が引退して空いたポジション」を懸命に務めた。

「採るから。3日で返事をくれ」

人の縁で呼ばれた東芝の練習に参加し、東京の焼き肉店で事実上の内定通知を受けた。この日は開始数十分で肩を脱臼したまま、それを言い出せずに最後までプレーしていた。

夢中で駆け抜けるなか、使命感も湧き上がった。日本代表として、である。

04年のヨーロッパ遠征ではスコットランド代表に8―100で完敗し、4年に1度のワールドカップには07年のフランス大会、11年のニュージーランド大会に出場も、未勝利に終わった。理由を明かされぬまま控えに回され、「マイナスな感情は悟られない」と耐えた時期もあった。

国際間の真剣勝負への出場数を意味するキャップ数を国内歴代最多の96に積み上げる過程で、こう、漏らしたこともある。

「どのスポーツもそうですけど、日本代表と名の付くチームは元気を与える存在でなければならない。これまでラグビーでは、そういう存在になれなかった」

 

15年、エディー・ジョーンズ前ヘッドコーチいわく「全ての練習、試合で常に競る」というロックは、イングランドで3度目のワールドカップに挑んだ。

9月19日はブライトンコミュニティースタジアムでの南アフリカ代表戦に先発し、34-32の勝利にうれし泣きした。「元気を与える存在」になった。

10月3日には、ミルトンキーンズのスタジアムmkでサモア代表とぶつかる。ジャパンのワールドカップ最年長出場記録を「37歳150日」に更新したこの午後、前半21分のスクラムで魅せた。前列の仲間の尻に肩と首を密着させ、膝を地面につけてスタンバイし、両者がぶつかり合うや、じりじり、足を掻く。認定トライを奪った。チームが求めるプレーをやりきろうとする心が、この人の真骨頂だった。

ノーサイド。26―10。ハーフタイムに交代を告げられた大野は、大腿部に肉離れを起こしていた。

ラグビーW杯1次リーグ  サモア戦を前に国歌斉唱する(左から)立川、大野、五郎丸=3日、ミルトンキーンズ(共同)

ラグビーW杯1次リーグ  サモア戦を前に国歌斉唱する(左から)立川、大野、五郎丸=3日、ミルトンキーンズ(共同)

 

「きょう初めてラグビーを観たような人にとっても、ルールがわからなくても面白いと思える試合をお見せできたと思います。一選手として、素直にうれしい」

冬の秩父宮。客席がからになったスタンドの下の、薄暗い取材エリアである。記者に囲まれた名物選手は、人気低迷を解消した当事者としてメッセージを発した。

チーム内での定位置は安泰ではない。チームの副将を務める梶川喬介、新人の小瀧尚弘らと先発の座を争っている。

特に小瀧は、帝京大学4年時に日本代表入りを果たした期待の新星だ。身長194センチ、体重110キロの巨躯で、上腕の力とスピードに自信を持つ。

実は大野とは、鹿児島実業高校時代に出会っている。当時は高校日本代表の練習中に周りのレベルの高さを痛感し、高校まででラグビーを辞めようとしていた。東芝入り後も「素人」と言われた大野は、「気持ちはわかる。でも、続けた方がいい」といった話をしていた。

これも運命か。助言した側が、しみじみ、絞り出す。

「まさか、そういう選手とレギュラー争いをするようになるとは、思ってもみなかったです」

次のワールドカップにも出るつもりだ。2019年の日本大会の頃には41歳になっているが、「現役でいる限りは、日本代表の桜のジャージィが憧れ」。いつかの野球少年は、大人のラグビー選手としてまだ見ぬ栄光を目指す。だからこそ、高校時代を知るスター候補とも「本気で競る」のである。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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