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July 30 2015 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

今、再び進化の途へ 義足ハイジャンパー・鈴木徹

今、再び進化の途へ 義足ハイジャンパー・鈴木徹

シドニー、アテネ、北京、ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場している義足ハイジャンパー鈴木徹(すずき・とおる)が今年、9年ぶりとなる”2メートルジャンパー”へと返り咲いた。鈴木が初めて2メートルを成功させたのは、2006年の日本選手権、26歳の時だ。当時、”2メートルジャンパー”は世界でもわずか2人しかいないという快挙だった。しかし、翌07年に左ヒザを故障したこともあり、それから一度も2メートルの壁を越えることができずにいた。ところが、35歳となった今年、鈴木は2度もその壁を破り、ついには2メートル01と自己ベストを更新したのだ。果たして、何が彼の好調を生み出しているのだろうか。その真相に迫った。

 

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シドニーから4大会連続でパラリンピックに出場している、義足ハイジャンパー鈴木徹
(日本パラ陸上競技選手権大会にて)

 

“スピード”から”反発力”への転換

鈴木は今年、助走を変化させたという。これまではピッチ走法、つまり、タッタッタッタッと軽快で速いステップで助走していた。地面からの反発力よりもスピードを重視し、勢いよく踏み切りに入っていたのだ。本人いわく、「若い頃はスピードがあったので、それでうまくいっていた」という。

しかし、年齢を重ねていくうちに、どうしてもスピードは落ちてしまう。そのため、これまでと同じピッチ走法の助走では、踏み切りの際の出力が低下し、体が流れるようにバーを越えていかず、上がった体が重力に負けて下にストンと落ちるようになってしまっていた。

そこで鈴木は、ピッチ走法をやめ、ポーン、ポーン、ポーンといった、ゆったりとしたストライドの大きい助走に変えた。一歩一歩、しっかりと踏み込むことによって、地面からの反発力を受けながら、それを最後の踏み切りで爆発させるのだ。

今年4月のグランプリシリーズ(ブラジル・サンパウロ)での2メートル、5月の山梨県陸上選手権での日本新記録となる2メートル01という”2メートルジャンパー”復活の結果は、その助走がもたらしたものだった。

しかし、鈴木はこの新しい助走をまだつかみきっていなかった。7月18、19の両日、ヤンマースタジアム長居(大阪)で行われた日本パラ陸上競技選手権大会で、それが露呈した。

 

狂いが生じた助走のリズム

まずは、1メートル85、1メートル90を1本目で成功。軽々と跳び越えていくその姿からは、調子の良さがうかがえた。本人もコンディションの良さを感じ、手応えをつかんでいたという。続く1メートル94は2本失敗したものの、3本目に余裕のあるジャンプでクリア。追い詰められた中でも修正することのできる冷静さが、ベテランの風格をにおわせていた。

しかし、1メートル97の高さを前にして、鈴木に異変が起きた。それまできれいに、ポーン、ポーン、ポーンと最後まで均等だった助走のリズムが、ポーン、ポーン、ドタドタドタッと、最後に無理やり合わせたようになってしまったのだ。結局、1メートル97を3本とも失敗し、この日の記録は1メートル94にとどまった。

競技を終えた鈴木に聞くと、やはり1メートル97をクリアできなかった原因は、助走にあったという。2メートルジャンプを成功させた時と何が違ったのだろう。

鈴木によれば、頭ではゆったりとした助走をしようと考えていた。ところが、バーの高さが上がるにつれて、「高く跳ばなければ」という気持ちが働き、体がそれに勝手に反応して助走を急いでしまったという。それが1メートル97の失敗につながったのだ。「体と気持ちはつながっている」とは、まさにこのことだろう。

「まだ完全に自分のモノになっていない証拠です。無意識にできるくらいにまで、体にしみこませることが今後の課題。それができるようになれば、必ず(2メートル)02、03と更新していけるはずです」

やるべきことはわかっている。そして、向かっている方向が決して間違ってはいないことも確信している。日本選手権での鈴木の表情と言葉には、それがはっきりと表れていた。

1年後に迫ったリオデジャネイロパラリンピックに向け、再び進化を遂げ始めた鈴木。
「跳躍は経験がモノをいう競技。まだまだ、自分は伸びると信じています」
日本人唯一の義足ハイジャンパーから、今後目が離せそうにない。

(文・斎藤寿子)
(写真・越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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