前年度王者のパナソニックのメンバー表を確認し、入替戦の末に残留していたクボタの立川理道は何を思ったか。言葉を選び、素直に明かす。
「Aメンバーじゃないのはわかっていた。僕らとしては前半が勝負になると思っていました」
2015年12月20日。クラブ本拠地のある千葉県は、フクダ電子アリーナである。
日本最高峰のトップリーグで今季は開幕から5戦で負けなしというディフェンディングチャンピオンは、ロビー・ディーンズ監督いわく「選手を入れる順番を変えた」。日本代表の堀江翔太主将、元オーストラリア代表で2季連続リーグ戦MVPのべリック・バーンズらレギュラー格にあたる「Aメンバー」は、控えに回っていた。
それまで1勝4敗のクボタにあって、通称「ハル」は、負傷した兄の直道主将に代わってゲーム主将を任されていた。前週のゲームを終えるや、番狂わせの準備に着手し始めていた。
「大人になったら、自分の気持ちに嘘をつくこともあるじゃないですか。でも、ラグビーをしている時は素直というか」
1歳年上の兄に逆らったことは皆無だという「ハル」は、芝の上の自分をこんなふうに語ったことがある。
「周りの人にはグラウンドにいる時は怖い、厳しい顔をしていると言われる。でも、自分としてはその時の自分の方が好きです」
ずっと強者に立ち向かってきた。
天理大の主将だった2012年1月8日は、クラブ史上初の大学選手権決勝へ進出。今なお6連覇中の帝京大の3連覇阻止に挑んだ。
リクルーティングと医療体制と肉体強化に一日の長があった相手を向こうに、当時は「筋トレが好きじゃなかった」という背番号10が、持ち味の果敢なランと「フラットパス」を仕掛けまくった。取り壊し前の東京は国立競技場で、12―15と肉薄。以後の帝京大学がファイナルで5点差以内に迫られたのは、今のところこれが最後だ。
間もなく初の日本代表入りを果たすと、2013年6月15日、東京の秩父宮ラグビー場で欧州王者だったウェールズ代表を倒す。23―8。「タックルが弱いということだったので」。自分と同じ背番号10のダン・ビガーへぶつかって、ぶつかって、ぶつかりまくった。
「ここをターゲットにやってきた。自分でボールを持ち込みながら、チームに勢いをつけたかった」
勝つ人の言葉は簡潔。
ロッカールームを出る際のエディー・ジョーンズヘッドコーチのメッセージは、「代表のジャージィを着る最後の試合だと思え」だったとされる。
そして、2015年9月19日。イングランドはブライトンコミュニティースタジアム。
ジャパンの12番として4年に1度あるワールドカップの初陣を飾った「ハル」は、過去2回優勝の南アフリカ代表に勝った。日本代表にとって大会24年ぶりの勝利を掴んだ。34-32。
仔細な分析に基づき、やはり相手の10番であるパトリック・ランビーのもとへ突っ込んでいた。身長180センチ、体重95キロの切り込み隊長は、初っぱなから「ゲインライン(攻防戦)を切れた。仕事は決まった」との心境だった。
異なる判断を下したのは、7点差を追う後半28分だ。自身の前にタックラーが集まるのを確認し、その直前に決めた通り、パスを放つ。五郎丸歩副将のトライとコンバージョンを導いた。笑みがこぼれる。
「そうすね…歴史、変えたんじゃないですかね」

ラグビーW杯1次リーグ 南アフリカに勝利し、スタンドの歓声に応える立川(中央)ら=ブライトン(共同)
相手を隅々まで把握したうえで、相手の嫌がる戦法を身体化させる。そんな大番狂わせの手法を、「ハル」は、冬のパナソニック戦でも遂行した。
最初から、サプライズを起こす。スタンドオフの森脇秀幸のキックオフは、無難にどかんと斜め前方へ、ではなく、敵陣10メートル線中央付近へちょこんと。身長201センチのグラント・ハッティングを競らせた。自軍ボール確保。継続するうち、パナソニックの反則を誘う。
前半2分、ラインアウトからの密集戦で先制する。7-0。9分、敵陣10メートル付近右のラインアウトから森脇が守備網の裏へキックし、サンダースが捕球する。独走する。宮田拓哉のトライなどでリードを広げた。14―3。立川の解説。
「キックオフであったり、裏へのパントであったり。奇策じゃないですけど、そういったプレーを用意しました。普通にやって勝てる相手ではないので」
用意されたフェーズからニュージーランド代表経験者のアイザイア・トエアバが走ったり、マット・サンダーズが斜め中央へ切れ込んで相手のパスコースを塞いだり。「普通にやって勝てる相手ではない」ことを踏まえ、勝つための仕組みを機能させた。
前半終了間際には、相手守備網の外側がせり上がった裏へサンダーズが、そのままインゴールまで走る。24-9。
若手を並べた王者はミスを重ねた。北川智規ゲーム主将は「教科書に書いてあるような、やったらアカンことをやっていた」。上位進出を目指すクボタで唯一の日本代表選手である立川は、帰り際、即席問答にこう応じるのだった。
――「奇策」。たった1週間でここまでの完成度に仕上げられました。
「ノンメンバー(試合に出ない選手)が相手の動きをしてくれたりと、今週はすごくいい準備ができたからだと思います」
――相手の分析は。
「みんな、よく(パナソニックの試合の)ビデオを観てくれた。僕も、観ましょう、みたいなことは言いましたけど。パナソニックがどういうチームかを皆がわかったうえで、準備をした。僕も代表で一緒だった選手の特徴など、言えることは言ったりしました」
強者に勝つためのワンピースのひとつ、選手の主体性も、醸成されつつあるようだった。
結局、堀江やバーンズが登場したパナソニックに逆転負けを食らった。27―30。公式会見で石倉俊二監督が「練習した形を貫いてくれた」と選手をねぎらう傍ら、「ハル」は眉間にしわを寄せたような表情だった。「(後半)向こうはボールを動かすのがうまくなりました」。反発ではない。強者に立ち向かうラグビー人生を歩む26歳の、「素直」の発露だろう。
リードを逆転された挑戦者には、力尽きて大敗する傾向がある。それでもこの午後、クボタは粘った。「皆、一生懸命ディフェンスをしてくれた。今のクボタが生きるところはそこだと、意識してくれた」。翌日に南半球最高峰スーパーラグビーのサンウルブスへの参戦を発表した「ハル」は、「向こうはああいうメンバーだったので、しっかり勝ち切りたかった」と締める。帰り際は穏やかに笑った。