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December 31 2015 By 佐藤 喬

二度引退した男 廣瀬佳正(前篇)

二度引退した男 廣瀬佳正(前篇)

レースがはじまろうとしていた。廣瀬佳正は、夢にまで見たプロツアーレース「ヴァッテンフォール・サイクラシックス」のスタート地点に立っていた。

世界中に無数にあるサイクルロードレースは大きく四段階に格付けされているが、プロツアーはその最上位である。現に廣瀬の周りでは、エリック・ツァベル、オスカル・フレイレ、フェビアン・カンチェラーラ、パオロ・ベッティーニといった、ツール・ド・フランスや世界選手権の表彰台の常連選手たちが談笑している。廣瀬が選手として走りはじめてから10年以上が経っていたが、ついに、ここまでたどり着いたのだった。

Vattenfall Cyclassics 2015

写真:Robin Wood

レースのスタート時刻が近づき、集団は徐々に緊張していく。そのとき、廣瀬の頭にふと、ある考えが浮かんだ。

 

「引退しよう」

 

宇都宮の林道から

1990年、日本で初めてサイクルロードレースの世界選手権が行われた。場所は宇都宮市の外れにある宇都宮市森林公園である。1992年からはそのメモリアルレースとして、同じコースを使った「ジャパンカップ」がはじまった。

はじめてジャパンカップを見に行ったのは第二回大会だったと、廣瀬は記憶している。兄の影響でサイクルロードレースに興味を持っていた高校生の廣瀬は、世界から強豪選手が集まるこのレースを見に出かけたのだった。

海外有名チームの色とりどりのジャージが少年を魅了した。廣瀬はツール・ド・フランスでも活躍したヒルクライマー、クラウディオ・キアプッチのファンだったが、そのキアプッチもいる。廣瀬は興奮した。

2014 Japan Cup Cycle Road Race(写真:nhayashida)

2014 Japan Cup Cycle Road Race(写真:nhayashida

そしてキアプッチがジャパンカップ最大の難所、古賀志林道の上りで鮮やかなアタックを決めて優勝したとき、廣瀬は将来を決めた。

 

この美しい競技の選手になり、いつか、このジャパンカップで活躍する。

 

栗村さん

高校を卒業した廣瀬は、アルバイトをしながら地元・佐野のクラブチーム「YCST」で走りはじめた。全日本選手権アンダー23の個人タイムトライアルを2年連続で制すなどした廣瀬は、いよいよ実業団入りを考えはじめる。

選手となっていた廣瀬には、海の向こうのキアプッチ以外にも気になる選手がいた。そのひとりが、6歳年上の栗村修である。いつもレース開始とともに果敢に飛び出す「逃げ屋」の栗村が、クラブチーム、シマノを経てポーランドの「ムロズ」にまで上りつめるのを、廣瀬は遠くから見ていた。見ていただけではなく、ツール・ド・北海道では一緒に逃げたこともある。2人は親しくなった。

廣瀬がブリヂストンアンカーでプロ入りした翌年に栗村は引退し、監督業をはじめた。明るいが繊細さも持ち合わせ、選手への気配りができる栗村を廣瀬は尊敬した。

廣瀬は選手として世界を目指し走っていたが、同時にぼんやりと、いつか地元の宇都宮にチームを作れないかな、とも夢想していた。そして、そこに栗村さんがいてくれればいいな、とも思った。

 

「モッコリーズ」

廣瀬はブリヂストンアンカーで2年走った後、シマノに移った。どちらも強豪チームである。ブリヂストンアンカーにはヨーロッパでも活躍した橋川健や、全日本選手権を2度制し、アテネ五輪にも出た田代恭崇などがいた。

シマノには、日本人唯一のジャパンカップ勝者である阿部良之、ジロ・デ・イタリアを完走し全日本をやはり2度勝った野寺秀徳、YCSTのチームメイトだった狩野智也、アジア選手権2回、全日本を1度勝った鈴木真理らが揃っていた。後に日本人としてはじめてブエルタ・ア・エスパーニャを完走する土井雪広もやってきた。

廣瀬の周りには強力な選手が多かった。2011年のツール・ド・熊野でかつてのチームメイトと談笑する廣瀬(右)、鈴木真理(中)、狩野智也(左)

廣瀬の周りには強力な選手が多かった。2011年のツール・ド・熊野でかつてのチームメイトと談笑する廣瀬(右)、鈴木真理(中)、狩野智也(左)

廣瀬は、アンダー23のタイムトライアルを2連覇するほど強かったが、上記の選手たちの前では、さすがにアシストに徹するほかなかった。だがそのことに不満はない。自らの勝利はないが、廣瀬はだんだん、アシストとしてチームメイトを勝たせることに魅力を感じるようになる。

しかし別の不満はあった。自分の愛する競技が、どうやら世間ではあまり知られていないことである。

それどころか、体の線が出るウェアを着て奇妙な自転車に乗る自分たちが笑いものになることすらあった。廣瀬は、練習場所のそばの女子高生たちがシマノの選手たちを「モッコリーズ」と呼び、陰で笑っていたことを知っている。(続く

佐藤 喬

佐藤 喬 Twitter

フリーランスの編集者・ライター。1983年生まれ。2013年よりフリーランスとして活動。書籍やムックの企画立案・ディレクション・編集作業・取材・執筆までをひとりで行う。自転車関連に強い。著書に『エスケープ』(辰巳出版)。

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