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January 05 2016 By 佐藤 喬

二度引退した男 廣瀬佳正(中篇)

第三の男

廣瀬は自分のことを「第三の男」と位置付けていた。

日本のトップチームであるブリヂストンアンカーやシマノの最前線で仕事をする実力は、もちろんある。安定感もあったから、どのレースでも廣瀬の姿が見られた。しかしどちらのチームにもオリンピックや海外のチームで走れてしまう水準の選手たちが多くいたから、廣瀬は彼らのアシストに回る。

そのうち廣瀬は、アシストという仕事にやりがいを感じはじめた。チームメイトを助け、ときには敵のエースを陥れるために走る。注目されるのは勝利を狙う第一、第二の男だが、第三の男として働くのも悪くない、と廣瀬は思った。プロ入りしてからここまで一度も勝利を挙げていなかったが、そのことに劣等感はなかった。

しかし年に一度だけ、第三の男が自分のために走るレースがあった。廣瀬がレーサーになったきっかけでもある、ジャパンカップである。

ジャパンカップサイクルロードレース2013

写真:kei-ai

地元、宇都宮に多くのファンが集まるこのレースだけは、廣瀬も目立つ走りをしたかった。どんなレースでも安定して走れるのが強みだったから、廣瀬は2005年から2007年にかけて3年連続で、「山岳賞」によって表彰台に立つことができた。

この時期の廣瀬の走りは高い評価を得ていた。特に2006年には、ジャパンカップの山岳賞以外にも、国内のシリーズ戦であるJツアーの年間ランキング8位、全日本選手権では5位という結果を残している。当時廣瀬がいたシマノは「国内組」と「海外組」に分かれていたが、2006年の走りの結果を受けて廣瀬は海外組に抜擢された。

ジャパンカップで活躍できただけではなく、ヨーロッパで走る機会が現れたのである。廣瀬は自分が、選手としての夢に近づきつつあることを感じた。

 

濁流

なんでこんなに激しく動くんだ、と廣瀬は走りながら思う。まるでスプリント前の位置取りだ。

必死で集団の前に出る。わずかに気が緩む。すると次の瞬間に廣瀬は、最後尾にいる自分を発見する。何が起こったのかわからない。

廣瀬の実力ならば、日本のレースで集団の前方を維持するのは朝飯前だった。しかしヨーロッパではそれすら難しい。一瞬でも気を抜くと、激しい渦にのまれて位置を下げてしまう。濁流みたいだ、と廣瀬は感じた。

当時「日本人選手はボトル運びくらいしかできていないじゃないか」と感じた日本のファンは少なくなかった。飲料が入ったボトルをチームカーから受け取り、主要選手に渡すボトル運びは、アシストとしての仕事のもっとも初歩的なものである。

そういう感想に触れるたびに廣瀬は「それは違う」と思った。「ボトル運びくらいしかできない」という感想が間違っているからではない。そうではなく、ヨーロッパでのボトル運びがどれほど大変かを知らない人間の発言だと感じたからだ。

横風のひと吹き、ちょっとした丘のひとつで置いてきぼりになってしまう。廣瀬はびくびくしながらレースを走り続けた。

それでも廣瀬は、世界最高峰のプロツアーレースに出場するという夢を諦めるつもりはなかった。旧知の仲の栗村修がスポーツディレクターとしてチームにいることも心強かった。

そして2007年、ついに出走の機会がやってくる。ドイツのプロツアーレース「ヴァッテンフォール・サイクラシックス」である。

 

最弱の男

ヴァッテンフォールのメンバーに選ばれてからの廣瀬は、今まで以上に激しくトレーニングに打ち込んだ。廣瀬は年齢的にもピークに達しつつある。最高の状態で夢の舞台に挑み、完走することが目標だった。

当日、緊張しながらスタートラインに並んだ廣瀬の周りに、テレビで見たような有名選手たちが続々と集まってきた。エリック・ツァベル、ダニーロ・ディルーカ、トム・ボーネン、アレハンドロ・ペタッキ、フェビアン・カンチェラーラ、パオロ・ベッティーニ、オスカル・フレイレ、アレッサンドロ・バッラン……。

廣瀬が引退を決めたのはこの瞬間である。

「あ、俺が一番弱い」と廣瀬は思った。走る前からわかってしまう。

もちろん、すでに書いたように廣瀬は日本のトップチームで存在感を示してきた選手であり、アンダー23の全日本選手権では2年連続でタイムトライアルを制したこともある。年齢的にもピークで、誰より厳しいトレーニングを積んできた。アシストの仕事が多かったとはいえ、選手だから負けん気も強い。

しかしそれでも認めざるを得ない。廣瀬の周りには約200人の選手がいて、その全員が、明らかに廣瀬より強い。廣瀬はここで最弱の男だった。

実力以上の場所に来てしまった、という気持ちが出てきた。晋一さん(福島晋一)や宮澤(崇史)、ミヤタカ(清水都貴)もヨーロッパで結果を出してきたのに、自分にはそれがない。

「今日のレースを完走したら終わりにしよう」と廣瀬は決めた。限界を見てしまったのだから、やれることはもうない。

 

中切れ

ヴァッテンフォール・サイクラシックスの終盤は周回になっている。そこに3度現れる「ヴァーゼベルグの坂」が鬼門であり、もし遅れるとしたらここになるだろうと廣瀬は思っていた。

だが廣瀬は耐え、大集団に残ったまま残り2周のヴァーゼベルグを超えることができた。このまま最終周回に入れば、選手生活の目標であった完走は確実である。

しかしその直後、なんでもない道で廣瀬の前方の選手が急に足を止め、廣瀬を含む40人ほどの集団が後方に取り残された。焦った廣瀬はこの小集団の先頭に立ち、全員に大集団に追いつこうと声をかけたが、誰も同調しない。

廣瀬は気づいてしまった。こいつらにとって、完走は意味がないんだ。廣瀬が目標としてきたヴァッテンフォールですら数あるレースの一つに過ぎない。集団に残れないなら、さっさとリタイアして次のレースに備えたいのだろう。

おそらく誰も、このレースを締めくくりとして選手生活を終えようとしていた日本人選手の意図に気付かなかっただろう。廣瀬は最終周回に入る前にリタイアした。

ともかくレースは終わった。通算0勝。名アシストはこうして引退するはずだった。(続く)

 

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二度引退した男 廣瀬佳正(前篇)

佐藤 喬

佐藤 喬 Twitter

フリーランスの編集者・ライター。1983年生まれ。2013年よりフリーランスとして活動。書籍やムックの企画立案・ディレクション・編集作業・取材・執筆までをひとりで行う。自転車関連に強い。著書に『エスケープ』(辰巳出版)。

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