東京は秩父宮ラグビー場の枯れ芝の上で、真っ赤なジャージィの帝京大学が貫録勝ち。
2016年1月2日、大学選手権準決勝。大東文化大学との打ち合いを68―33で制し、7連覇への挑戦権を獲得した。
ヒーローは「T」。元幕下力士の星鶴王を父に持つ、奈良県は御所実業高校出身のルーキーだ。
高校時代から男子7人制ユース日本代表や20歳以下日本代表候補となるなど、かねて「次世代の星」と謳われている「T」。この午後もやはり、華があった。
後半21分。敵陣22メートル線付近左中間で球をもらう。目の前に並列した2人のタックラーを見据える。1人目のアマト・ファカタヴァは右、左とステップを踏んで置き去りにする。そのままギアを入れ、2人目の戸室達樹も振り切る。緩急で魅せ、左タッチライン際へ飛び込んだ。
続く33分には、この日4度目のインゴール突入を果たし、大会通算トライ数を歴代最多タイの11に伸ばすのだった。「褒め過ぎて、余分なものが伸びても困るのですが…」。もともと新人を褒める傾向にある岩出雅之監督は、鼻のてっぺんに丸めた手を添えて笑う。身長176センチ、体重80キロの点取り屋である「T」を、公の場でこう評していた。
「とても、素晴らしい選手だと思います。もう少し体が大きくならないとワールドクラスには届かないかもしれませんが、皆様に愛されて、期待される選手に育ってほしいです」
試合後、「T」は記者団に囲まれる。短髪をウェットな整髪料で遊ばせ、くりっとした瞳を輝かせ、ブレザーをまとい、両手を前に揃え、はきはきと「トライの感想」や「10日の東海大学との決勝戦への意気込み」などの問いに答えていた。
選手権参戦の約2週間前。東京都日野市百草園にある、クラブハウスとトレーニングルームのはざまの通路でのことだ。
――少し、お話を伺ってもよろしいですか。
「…ちょっと後にしてもらってもいいですか」
あたりを見回した「T」が、声を潜めて頭を下げる。自身がウェイトトレーニングの合間だったこと、上級生も鍛錬を重ねていたことを鑑みてのことだ。
いったんクラブハウスに戻り、続いてトレーニングルームへ入り、またクラブハウスに赴いてから、小走りで表へ出る。「お願いします!」。張りのある声で即席問答を始める。
――お疲れさまです。
「はい、きょうは腸腰筋の疲労というか…。今週は試合もないので、レストしようかなと。そういうのはスタッフの方に言われる前に、自分で判断したいと思っています」
この瞬間に伝えたいことを、迷いのない表現で話してゆく感じ。きっと「お願いします!」と発した瞬間から、私人から公人に変わったのだ。
この日、「T」は午前中の全体練習を休んでいた。クラブハウス近くの坂を上った先の練習場で待つ医師に、「腸腰筋」を検査してもらう予定だった。
「自分の体を管理できる人間になっていきたいので。高校の頃からこういうふうにしてきました」
――日本の体育会系の1年生男子が「レスト」の決断。勇気が必要ですね。
「周りからすれば…何か、思われるかもしれないのですけど、これから入ってくる後輩にも、僕のことをいいように真似をしてもらったら…」
マイペースを崩さず、そのマイペースを他人に共感してもらうために思慮をめぐらせているような。もちろん、「相手のペースにさせないのが帝京大学の目指すところ」など、聞き手の欲しがる言葉も用意していた。
「T」がプレーするウイングは、大外でトライを狙うポジションだ。「愛される選手」の候補生は、この位置で「油断ではなく、余裕を持った、落ち着きのあるプレーヤーになりたい」。ボールをもらってからではなく、ボールをもらう前にこそ、繊細な心を込める。
他のランナーが抜け出せば、追っ手の視野の外からサポートにつく。おかげで球をもらった頃には「走ってボールを置くだけ」の状態になる。岩出監督はこうも付け足す。
「高校までは忙しいプレーをしていた。当時の試合を観たら、あまり足は速くないのかと思っていたのですけど、うちに来てみたら結構、速い。オフ・ザ・ボールでのいい動きをもう少し落ち着いてやらせたら、もっと(パスをもらった時の)スピードが生きてくる」
高校時代は持ち場のタッチラインを離れ、あちこちへ顔を出してパスを呼び込んでいた。優れた嗅覚を生かして駆け回る半面、1本ごとの走りのきれを失ったかもしれなかった。状況に応じて持ち場を離れる回数を限定し、左タッチライン際で生来の脚力をアピールすべし…。岩出監督の指導内容は、概ねこういうことだったようだ。
どこへでも顔を出せる人が、チーム方針に合わせて顔を出す場所を限定する。「T」本人も頷く。
「常に空いているスペースを探すのですが、もしそこに自分が必要ないと感じたら、リポジション(元の位置につく)して…。いまはそのサイクルで考えています」
大東文化大学戦の後半21分の得点も、その意識の賜物だった。
あの直前、「T」はグラウンドの左側で戦況を見つめていた。右タッチライン際の密集で相手選手が球を外に蹴り出した瞬間、一気に右斜め後方に後退。守備との間合いを取り、ファカタヴァと戸室を抜く走路を定めたのだ。その手順を踏んでから、緩急で魅せた。

ラグビー大学選手権準決勝 帝京大―大東大 後半、自身4本目のトライを決める帝京大・竹山=秩父宮
正月2日の夜。取材対応などを終え、秩父宮の正門近くで高校時代の友達らと雑談をかわしていた。解散。いつか話した記者に呼び止められる。
――腸腰筋、大丈夫ですか。
「はい。けがをした時にトレーナーさんたちが大事にしてくれる。そのおかげで自分は安心してラグビーができますし、その環境があるのが帝京大学の強みだと思います」
弁の立つ若者が台頭した時の周りの反応は、概ね2種類に分かれるだろう。「若いのに、大したものだ」と「若いのに、生意気だ」。30歳前後の天才科学者も、抜群の演技力を誇る人気子役も、10代の有望なアスリートも、総じて、かような論評の対象となる。
「充実しているように感じます。あと1勝です。注目されることにはマイナスな面もあるとは思うのですが、あまりそうしたことは考えずに、自分のメンタルを上げる、ポジティブなものだと捉えるようにしています」
その名は竹山晃暉。「若いのに、大したものだ」と「若いのに、生意気だ」のどちらの枠にも収まるまい。成功者になる準備をグラウンドの内外で進める、年齢不詳の男性だ。